教材研究 高校数学

自分の数学観を高める

行間を埋めること基礎的計算の難しさ

  初任の頃生徒に、「先生の板書は途中式が多すぎてわかりにくい」と言われたことがある。その生徒は数学が苦手で、正直、私はその子のために、途中式を丁寧に記述していたのである。自分は「数学的に正しいことを記述すれば、生徒は必ず分かるはず」という非常に浅い教授観を持っていたのである。この板書が生徒にわかりにくい点は、大切な箇所がわかりにくい点である。生徒の眼の前には情報が押し寄せ、生徒は式を眺めること、書き写すことに労力をかけてしまう。生徒は使いこなせる計算の行間を生徒は埋めることができる。苦手な生徒でも、意欲があれば行間でどのような式変形をしているかは口頭の説明でも理解できる。しかし、使いこなせる計算しか行間を埋めることはできない。逆に言えば、行間が読みきれずに式を追うのが難しくなる生徒もいる。

  授業では、教えたい新規事項は多くて2つである。しかし、新しい内容を教えるために、過去の学習内容特に計算分野を使いこなすことが問題解決で求められる。そうすると、苦手な生徒にとっては新しい内容2つに加え、過去の基礎的計算内容も思い出す必要が出てくる。この積み重ねが生徒たちにとって苦しいのである。

  生徒の行間を埋める能力は過去の学習内容の定着度による。ただ、この行間をクラスの生徒がどこまで埋められるかを見極めるのは今の自分にも難しい。埋められない行間が予想されるとき、丁寧に説明をするという行為が最善だと感じていたこともあった。しかし、その説明が長い説明になる瞬間に、生徒の心は離れ説明しなかった方が良かったなんてこともあり得てしまう。もうその頃には、元の問題を解決する気力はなくなってしまっているのである。行間を削れるだけ削る、要点を伝えるために日頃から生徒を観察せねばならない。